名もなき天使

はじめに

突然、私の前から消えてから10年が経とうとしています。しかし、私の母への思い出は止まるどころか、生前の過去へと時を刻み続けています。母をいつから母として認識したのか。それは、私が自転車で深い堀に落ち、必死に私の顔を泥の手で撫でながら、涙ながらに「大丈夫」と叫ぶ彼女を認識した時だったのかもしれません。あるいは、大雨の中、傘もささずに私を蚕のように包み込み、おそらく病院へ連れて行く途中の、鬼の形相の彼女を母と認識した瞬間だったのかもしれません。これらは、終わりのない思い出のゲームをしているような日々のかけらです。

一説によれば、最高の供養とは、何度も思い出すこと。懐かしむこと。 残された者が人生を楽しみながら生きるとのことです。それが故人の喜びであり、また自分のためでもあるようですが、私の場合、極端な表現でいえば、愛する母を早死にさせた犯罪者的な心情なのかもしれません。そんな私が小説を書こうと思ったのは、心臓病を患った野良猫との出会いがきっかけでした。

その名もなき野良猫が、心筋梗塞で突然亡くなった母のメッセンジャーだったのではないかと考えました。この出会いを小説に綴ることで、10年間の苦悩が報われるような気がするのです。どうか最後までお付き合いください。

"10 years have passed since she disappeared suddenly from my life. Yet, the clock of memories for my mother not only refuses to stop but continues to etch into the past. When did I truly recognize her as my mother? Was it when she desperately caressed my mud-covered face after I fell into a deep ditch while riding my bicycle, reassuring me with tears in her eyes? Or perhaps, was it during a relentless downpour when she, without an umbrella, enveloped me like a silkworm, likely on our way to the hospital, her face contorted in a fierce determination? These are the fragments I navigate through in the maze of memories, living days that feel like an endless game.

According to some beliefs, the best form of remembrance is to recall memories repeatedly. To cherish. To allow those left behind to enjoy life while living. It seems to be both the joy of the departed and a personal fulfillment. In my case, in extreme terms, it feels like harboring a criminal mentality responsible for the premature death of my beloved mother. The audacious idea of writing a novel occurred to me through an unlikely encounter with a stray cat suffering from heart disease.

The nameless stray cat, I speculate, might have been the messenger of my mother's sudden demise due to a heart attack. Could decoding this encounter through writing a novel be the key to redeeming the 10 years of agony? Please, join me on this unconventional journey until the end."

第一話 おば~のニライカナイ 

おば~の初婚のお相手は、沖縄から集団就職で大阪にいた頃に出会った奄美大島出身の方で職業はその当時には珍しい喫茶店経営者。新婚生活は沖縄方言が本土に渡っても日常語のおば~にとって今では死語に近いウエイトレスとして日本語を学びながら接客をする毎日。

そんな中、長女を授かる。命名は律子。両親の呼び名は「りっちゃん」その当時の大阪だけではなく明治維新の負の遺産なのか?戦時体制の反米意識の矢面の商売だったのか?ハイカラ商売で繁盛していることをよく思わない近隣の傍観者と閉店直後の店前で数人の男性と口論になり最愛なる旦那さんを失ったおば~。 

 乳飲み子を抱え二人で開けていた店も失い途方にくれるおば~の脳裏にこの子を連れて旦那の実家である奄美大島まで帰ろうと初めて会う亡き旦那の両親との片道航路の船に乗る。港まで迎えに来てくれた義両親との出会い。その両親から告げられた、おば~への答えは、おば~の予想に反して、この子を置いてあなたは沖縄へ帰りなさい。おば~は亡き旦那の両親の言われるがままに役場で戸籍の手続きを済ませ沖縄那覇港へ向かう船に乗る。奄美の港から沖縄へ向かう航路で水平線沈む夕日を眺めているおば~。

 
 
 

「お母さん、お母さん、お願い… 起きてくれる?」 

その声は小さな蛾になって母が寝る蚊帳の外で泣き叫ぶ りっちゃんであった。その日のおば~は時の流れも風もない異次元の光景の中、現世のころの現実の夢をみていた。おば~が住む世界は、なぜか過去の夢だけを映し出す。

太陽が西の空に薄っすらと悲しげなピンク色に染まるころ、おば~とりっちゃんは今帰仁村で収穫した芋を肩にぶら下げ当時10歳だったりっちゃんは頭に籠を載せて険しい山道を足早に歩いていた。羽地大川のせせらぎが聞こえるころには夕日が空全体を染めていた。仮自宅である山小屋まであともう少しの茂みの中で突然、英語の声と共に大男が二人の目の前に現れた。その赤鬼のような顔の米兵は叫びながらおば~が担いでいた芋袋をむしり取り嫌がるおば~の右腕を掴んで引きずるかのように茂みの向こうへと消えていった。

「アンマー アンマーよー」と叫び続けるりっちゃん!大粒の涙がおば~が担いで散乱した芋に落ちる。さっきまで一緒にいた母が視界から消え声も聞こえなくなった。誰もいない。誰も助けてくれない。途方に暮れながらも山小屋で待つ義姉のところまで、この芋を運ばなければとおば~が残した芋を袋に詰め引きずりながら何時しか涙が流れる汗で乾くかのように山小屋へ着くころにはりっちゃんの目から涙が涸れていた。

鳴らないはずの風鈴がそよ風の音色からりっちゃんの叫びに共鳴するかのように連続の音色へと変わる。寝る前から胸騒ぎをしていたおば~は目覚た目で回りを見渡すが蚊帳の外には人影すら映らない。        「りっちゃん りっちゃんなの?」「どこにいるの?」                        「お母さん、私はここよ!」                                     蚊帳に縋る小さな蛾を見つけたおば~は胸騒ぎと夢の原因がりっちゃんの現世の死であることに気づいた。   さっきまでの夢でおば~は米兵に引きずられたときに、この世の別れと悟っていたがりっちゃんの視界から消えたころおば~より若い女性に遭遇した米兵があば~を開放してその若い女性を引きずっていった。おば~は死を意識し覚悟したが死なずに93歳まで生きて現世を去る時には身内の誰一人認識することなく去った自分を振り返りながら「どうしてこんな姿なの」とやっと気づいてくれたおば~にりっちゃんは安堵し現世での出来事や成仏しきれていなこと、それに訪ねてきた理由を小さな小さな涙と共に語り始めた。